サイトとは居場所である

サイト(私の場合はこのブログ)とは居場所である。しかし人間にとっての現在というものは時間と空間という延長のなかで、わずかに存在するこの肉体の中にしかないのであって、サイトや家や学校といった場所で自分の居場所を主張するには「記憶」の断片をあちこちに配置するしかないのである。あたかも犬がテリトリーを主張するために電柱や草むらに彼の匂いでもってマーキングするように。「記憶」というのは過去のものであって、その「記憶」に入り込むことによってその感情を再現することができる。たとえば文章。たとえば写真。たとえば誕生日にもらった置物。このサイトは、ここに書き込まれた文章は、感情や思考というよりは「記憶」そのものであり、書きおえた瞬間から過去ものとなっているのである。私は後日、サイトの文章を読みなおして、その時に感じていたこと、考えていたことを自分の中から引き出すことができる。そういう意味でこのサイトは私にとっての居場所であり、「記憶」のアーカイブである。ふとそんなことを考えた。