dexiosuさん問題に対する当ブログの距離感について

「dexiosuさんを応援する」と書いた直後に、いきなりページビューの数字が跳ね上がり、彼という存在がいかに人々の好奇の心をひきつけているのかに、改めて驚いている次第です。2chのdexiosuさんをウォッチ対象とするスレッドの中でも、このブログの存在に触れている方もいらっしゃって、あたかも自分までもがウォッチ対象になってしまったかのような驚きと気恥ずかしさを覚えています。場合によっては、そうなる可能性もなきにしもあらずなのですが、おそらく該当スレッドの皆さんが期待するようなイベントにはならないでしょう。なぜならば今のところ該当スレッドに書き込む意志もなければ、積極的にdexiosuさんにコンタクトを取ろうという意志もないためです。まず名無しなり固定ハンドルで書き込んだ時点で私はウォッチャーという立場に立つことになるでしょうし、それでは私が問題視しているウォッチャー側とウォッチ対象間のコミュニケーション不全の問題に私自身が絡めとられてしまいます。また一方、メールなり電話なり手紙なりでdexiosuさんにコンタクトを取ってみるとしましょう。これは純粋に非常識です。ある日突然、見知らぬ女子高生から「あなたを応援してます」と手紙が届く!小説の出だしとしても大して面白くないし、リアルにこんなことしたらただの頭のおかしい人です。
ならお前は何もする気がないのか?何もする気がないのにわざわざ「応援します」と宣言したのか?と問われるかもしれません。まあ正直に言うと、問題の大小を見誤っていたことは否めません。なぜならdexiosuさんのブログを読み、私はその内容を半分も理解できなかったのですから。まあこれは私があっちこっちへと情報がリンクするハイパーテキスト型の文章を読み慣れていないせいかもしれません。「群盲、像を撫でて、あるものは壁といい、またあるものは筒のようであるといい」と昔のひとがいうとおり、まさに私はめしいた気分でした。カナ蛇だと思ってつついたら大蛇が出てきたとでも言いましょうか。そういうわけで彼の主張すること、問題としていることを、正直いって正確に掴んだとは言い切れないのですが、その根底にあるのは「自分は何者かに攻撃されている。そのためにこんなにひどい目にあっている」というものだと思います。
結論からいえばこれは一種の被害妄想であり、実際、彼は彼の主張する攻撃者による不利益というものをほとんど被っていません。むしろ周囲は適切な対応を取っており、彼は利益を得ているといっても良いくらいです。どっちかというと必要なのは女子高生のエールではなく、精神科医じゃないかと思いました。
とはいっても、これはべつに目新しい意見でもなんでもなく、彼をウォッチするスレッド上で幾度となく繰り返されてきた分析と解釈であり、ウォッチャー側はある人は優しく、ある人は罵倒に乗せて彼に意見してきました。ですから、この分析はあらためて文章にするほどの価値もないものですが、今後の論理の展開のために必要と思われるので書いておきました。
さて、ここで少し前の問いに答えたいと思います。つまり、お前はdexiosuさんを応援するために何をするのか、ということです。これは、簡単に言えば、彼の被害妄想の根底にある攻撃者の概念的解体、そのような人々は実際には存在せず、むしろ緩慢な優しさが彼を取り囲んでいるということの証明です。
この証明は今後、このブログ上でするつもりです。なぜブログ上で意見を展開することに拘るのか?それは、私がウォッチャー側という立場に陥らないためです。幾度か繰り返したとおり私はウォッチャー側とウォッチ対象間には根本的なコミュニケーション不能問題が横たわっていると考えています。しかしながらここでウォッチャー側という存在を改めて考察すると、それは2chネットウォッチ板の中にある特定のスレッドの中に表出した意志、というだけでなく、条件さえととのえばどこにでもネットウォッチという行為が現れ、ウォッチャーたちという存在が現れるのではないかと考えたためです。私のブログを例にとって考えてみましょう。私がいま、dexiosuさんのことを考えているという行為は何であるのか?「応援したい」という意志がありますが、そこには「好奇心」なども含まれ、ある視点からみれば、dexiosuについての何かしらの意見を書くという行為自体がネットウォッチ行為であると言えます。さらに、私のブログのコメント欄に、dexiosuさんについての多数の意見が寄せられた場合のことを考えてみましょう。意見のレベルには様々な度合いがあり、真剣に意見してくださる方もいれば冗談や悪口を書き込む人々がいるかもしれません。つまりブログ自体がウォッチスレッド化し、ウォッチャーたちという存在と化す可能性もあるのです。
ですので、私は比較的そういう状況が起きにくいと思われる、消極的な策を取りたいと思います。つまりブログ上でdexiosuさんの抱える問題を概念的解体し、そしてその文章が彼の目に留まり、なんらかの良い結果をまねくことを祈りつつ、私は私の匿名性を維持してブログを継続するというものです。
いずれひょっとしたら固定ハンドルを得て該当スレッドに書き込むときがあるかもしれません。書き込むときはブログで宣言してからやります。しかしそれは当分なさそうです。祭りを期待された方々には申し訳ないというほかありません。