言葉と思考は人間を破壊し得る

カントの『純粋理性批判』は人間の知性について定義し、その能力について分析した書物です。その中でカントは知性の偏りと射程を明らかにしています。つまり知性とは、自分自身という概念を包む、広大で普遍的な概念空間において、かなり偏った指向性を持ち、かつその射程も限られているということです。たとえるなら人間とは暗闇のなかを懐中電灯の明かりを頼りに心細く歩んでいる知性的存在であると言えるでしょう。
しかしながら一方で、人間の精神や脳機能についての研究も進んでおり、いずれ人間は知性の偏りを克服し、その射程を拡張することができるかもしれません。少なくとも確実に人間の知性はそれを試みるでしょうし、そいういう意味では人間の知性というのは地球上の他の動物に較べて高度だとか複雑だとかそういったレベルの話ではない異質さを持っていることになります。つまり人間は知性自体について知性を用いることができる唯一の動物であるということです。
まあそんなことはどうでも良くて、私の孫の代くらいまでにそういったことが実現されるといいなあ、と思っている程度なんですが、今日は私の昔の話をします。まだ私が「駄弁屋」だとか呼ばれるようになる以前の話です。かつて私は邪悪な人間でした。今もまだそうかもしれません。しかし「自分が邪悪な人間である」と認識したのはその時が初めてでした。自分が何の迷いもなく、躊躇いもなく、むしろ悦びをもって、他人に暴力をふるい得る人間であると気づいたのは、その時が初めてでした。
その少年を仮にN君としましょう。N君は弁論術同好会とかいう訳のわからんグループの会長を務めていました。顔はまあいけてる方で、運動神経を悪くなく、男女の区別なく好かれるタイプでした。成績については私と拮抗していたというか、私はかねてからN君の存在を目障りに感じていました。彼がいなければ常時ベスト3には入れていた筈なのです。
さて学校には年に一度の面倒なお祭り、学園祭があります。その学園祭で弁論大会が催されることなりました。これがまたくっだらない代物で「男女共学に賛成するか否か」とか「新婚のT先生は幸福か否か」「男と女は違うか否か」とそんなテーマについて、賛成側と否定側にわかれて弁論を競うというものでした。私はジャンケンで負けたという、これまたくだらない理由からこのゲームのメンバーに選出され、また一方でN君率いる弁論術同好会の面々はこちらは意気揚揚と参加することになったのです。N君には弁論術同好会の存在をアピールしたいという思惑もあったのでしょう。おっきな垂れ幕まで作って同好会の面々に発破をかけていました。
まあ弁論のテーマだとか、私が賛成側だったか否定側だったかとか、そんなことはどうでもいいのですが、何の因縁か私とN君は対戦相手になってしまいました。与えられたテーマはかなり私に不利なものであり、始める前から私は「こりゃ負けだわ」と考えてぼけっとしていました。対戦は5分ずつの弁論タイムを交互に行って3ラウンド、最後に質疑応答タイム、つまり私は少なくとも15分間喋らなければならないことになります。私は先攻、N君が後攻でした。当時、主に家庭にいろいろと問題を抱えて無気力に陥っていた私は、壇上にあがって5分間、あたりさわりのないことをだらだらと喋り、後は綺麗に負けてさっさと終わらせちまおうなんてことを考えていました。
そしたらN君がいきなり大ポカをやらかしたのです。
「えー、これは弁論対決ということですので、徹底して相手の揚げ足をとらせていただきたいと思います!」
壇上に上がってN君、満面の笑みで私の弁論の揚げ足をとり始めました。私は、なんというか、全く釣れると期待もせず、餌もつけずに垂らした釣り針に魚が食いついてきたかのような興奮を覚えました。N君、違うよ、弁論術とは揚げ足をとることじゃないのだよ。俄然ファイトが沸いてきた私は、ネチネチとしつっこく意味のない揚げ足とりに終始したN君の話をほとんど聞いていませんでした。私にとってはN君の最初の台詞、それだけで十分だったのです。そここそがN君の最も大きな穴であり、この敗色濃厚な試合をひっくり返すポイントでした。弁論術に対する認識そのものが私とN君では大いに違っていたのです。あるいはN君は正確に弁論術を理解していたのかもしれませんが、私があまりにやる気がなくぼそぼそと喋っていたので油断したのかもしれません。しかしこれがN君の致命傷になりました。かれは自分が戦う相手が、古今東西哲学書、神学の本を読み漁り、一日に17回くらいは「幸福とはなんだろう」と思索しているような思索狂だとは思っていなかったのです。
私は壇上に上がるなり、N君の最初の口上を大声でゆっくりと3回繰り返しました。3回目で聴衆からは笑いが漏れ、この時点で私は勝ちを確信しました。私は当時から熟読していたギリシャ哲学、神学関連の書物から引用し、N君のこの認識がいかに間違っているか、N君は弁論というものを理解していないのではないか、そもそもそんなN君には弁論する資格がないのではないか、ということをすらすらと述べ、つまりN君が話したことは全部嘘っぱちだし、この後に話すことも全て嘘っぱちになるであろうと結論づけました。こう書いてしまうと、わりとあっさり喋ったかのように感じてしまいますが、実際には私は熱っぽくまるで宣教師のごとくに話し、しかも時折聴衆に対してわざとらしいクエスチョンを投げかけては、聴衆の意識の方向を操作し、さらにはN君への個人攻撃みたいなことまでやったのです。与えられた5分を7分間もオーバーし、最後には教師に止められましたが、私のパフォーマンスに生徒一同大喜びでした。
一方N君はというと顔が真っ赤になり、呼吸も荒くなっていました。完全に思考停止状態です。おそらく彼は勝ちを確信していたのでしょう。しかし慢心と油断が思わぬ状況を生み出してしまい、2ラウンド目の時点で、状況は完全に彼のコントロールから抜け出していました。彼は必死で喋りました。まあ一言で表現するなら無駄でした。スタート地点を誤れば、正確なゴールに辿り着くのは至難のわざです。このラウンドで彼がどういう発言をするのかも、すでに私の計算の中に入っていました。将棋の名人は一瞬で100手先ぐらいまで見通せるそうですが、この時の私も7手先(そんなにラウンドは続かないけれど)ぐらいまでN君とのやり取りが見えており、しかもそのいずれもが私の勝ちで詰んでいました。つまりどうやっても勝つ。あとはどうやって勝つかです。
冒頭の話に戻ります。つまり問題はもはやどのレベルで勝つか、ということになっており、これは私の選択しだいでした。あまり思い出したくもないのですが、この時の私は異常な興奮状態にあり、非常に攻撃的な性格になっていました。快感すら、悦びすら覚えていました。N君は肉体的には私よりも遥かに勝る相手ですが、この壇上においては拘束されて転がされている幼児も同然でした。どこに攻撃を加えるか、どの程度の攻撃を加えるか、それは全て私の自由でした。もう書くのが苦痛になってきました。思い出すのも苦痛であり、胸が潰れるような思いがする。表面的な表現するのなら私は壇上に立って5分間喋っただけです。しかしその意味するところと言えば、完全に動きを封じた子供の頭に、金属バットを振り下ろし、振り下ろし、振り下ろし、振り下ろして、その感触と返り血に歓喜したのです。吐き気がしますね。しかしその時は私は完全に勝利の喜びしか感じていませんでした。投票結果では冗談みたいな圧勝でした。
話はもう少し続きます。
N君は学校に来なくなりました。私はそれを自分のせいだとは思いませんでした。三ヵ月ぐらいN君は学校を休んだあと、突然二階から飛び降り、軽い怪我をしました。誰もがN君は自殺しようとしたのだと考えました。それから同級生のTが私に「舌殺ジャガーノート」と渾名とつけようとしました。Tは言いました。
「だってN殺したのってお前だろ」
実際にはN君は死んでいないし、Tにそんなことを言われる所以もないのですが、私は凍りつきました。舌が渇き、口のなかで凍ったように動かせなくなるのを感じました。そのときようやく、私はN君の行動と、弁論大会との関連に思いあたったのです。ぎゅっと心臓がちぢみあがりました。吐き気を覚えていた、覚えていたかもしれません。そのときの感覚というのが未だによく思い出せないのです。あるいは適切な表現がみつからないと言った方が正しいのかもしれません。友人のハナがTの肩に手を置いて言いました。
「全然笑えねえ。面白くないよお前」
マジ顔でした。気おされた感じのTはしょぼしょぼと去っていきました。私は固まったまま、じっと机の表面を見ていました。
「保健室行ってきなよ」とハナが言いました。どこか遠くから聞こえているようでした。私は教室を出て、職員室に行き、担任に会いにいきました。N君の行動について聞くためです。担任と何を話したのかはよく覚えていないのですが、お前のせいではない、とかそういうことを言われ、私はぼんやりと職員室を出ようとしました。それを担任が、ちょっと待て、と止めて一言私に言いました。
「よく切れる刀というのは考えてつかわなきゃならん」
担任は見透かすような目をしていました。この人は国語教師でしたが、どこか禅の老師を思わせる風情があり、つかみ所がない感じでした。私は一瞬、返答につまりましたが
「さもないと自分を切るかもしれませんからね」と返し、もう帰れ、という合図で職員室を出て行きました。トイレで一度吐いたのは覚えています。
さて、その後N君がどうなったかというと、転校し、その学校で立派にやっているそうです。野球部に入って随分活躍しているみたいで、私の無駄に広い人脈からは、彼がいたって健康で普通の、立派な高校生になっているということが伝わって来ています。心底よかったと思いますが、人間は表面からは窺い知れない部分が山ほどあります。
ただ、私は今でも彼の行動と転校の原因に、私の行為が関わっているのではないかと疑っています。恐れているといったほうが正しいかもしれません。あるいはその疑いは全く正しいものであり、私が完全に加害者だったのかもしれません。しかし私にはそれを受け止めるだけの度量がありません。
いくつか確信したのは、自分が邪悪な行為をしたということと、状況によっては邪悪な行為をし得る人間だということ、そして言葉と思考は人間を破壊し得るということ。今回N君が立ち直ったのは私にとってはただの幸運に過ぎず、もしかしたら次は行き着くところまで行ってしまうかもしれないこと。そいういうことを確信しました。
最近は「精神の筋力」という言葉をよく耳にします。肉体的な筋力ならば見たり物を持ち上げたりしてすぐにわかるのですが、精神の筋力はそうはいきません。物理的な筋肉が稼動範囲と力の限界を持っているのと同じように、人間の知性もまた偏りと射程を持っています。構造体としての精神もまたやはり活動範囲と強度を持っていると考えるのが当然でしょう。子供の頭を金属バットで何度も殴れば、しまいには再起不能の重症を負わせてしまうことでしょう。私がN君の精神に対してやろうとしたことも同じであり、彼を完全に死に至らしめなかったのは、ただの幸運、とびきりの幸運としか言いようがありません。
その頃からわたしはひたすら無題で無害で無意味な駄弁を紡ぐ「駄弁屋」となったのです。誰も傷つけないように。誰からも傷つけられないように。

今回の記事をあえてdexiosuさんに絡めてコメントしておくとすれば、皆さんちょっと彼を罵倒しすぎじゃないですかね。わたしはdexiosuさんが固定ハンドルで書き込まなくなってからの、dexiosuさんの(と見なされる)書き込みについては判断を保留していますが、どうやら彼は「自分が死んだら」みたいなことを言っているようです。dexiosuさんが死んだら、きっと皆さん笑うことでしょう。笑えると思っているでしょう?違いますよ。絶対に嫌な気持ちになります。そしてその気持ちは長い間消えることがないのです。ここはあえてdexiosuさんに優しい言葉をかけてあげては如何でしょうか。すでに罵倒罵倒の対立構造は硬直しており、新しい展開を求めるならば別の語り口でdexiosuさんを語り、また彼と対話するしかないのです。