デカルト『方法論序説』/中公クラシックス

我が家には図書室みたいな部屋があって、主に父が集めた本が詰め込まれている。四方が本棚で囲まれていて窓が見えない。あと床にも本が積まれてて腰の高さくらいまである。小説とか雑誌もあるけど哲学書がほとんどで、父いわく若いころに死ぬほど悩んだことがあって、その頃に読んだ本らしい。今の父は見た目こそ枯れ木のようだが精神的には決して倒れない大木のようなイメージがあって、その話をぽろりと聞いたときは意外な気がしたものだ。
ちなみに今でもこの図書室は日々日々に雑誌などが持ち込まれ、床の上に置かれた本などは底のほうが取り出せなくなっている。私はいつか機を見て整頓しようと思っているのだが、この部屋に入るたびに気がくじけてしまう。一体何冊あるんだ?

それはそうと詰まれた山から一冊、てきとうに選んで読んでみた。デカルトの『方法論序説』。あの有名な「我考えるゆえに我あり」の文言がどのような文脈で出てくるのか知りたいと思ったので。わりと最近買ったもののようだ。本棚にも同じ題名の本があるよ?なんか違うのか、それとも父がボケちゃったのか?
この本には「方法論序説」以外にデカルトの哲学についての簡単な解説と「哲学の原理」、「世界論」が載っている。
「世界論」は途中で読むのをやめた。退屈だったし、現代の科学の中で生活する自分にはあんまり得るところがないように思ったので。
とはいえ、こういう本は何回も読んで、読むたびに新しい発見があるもの(父の言葉だ)らしいので、ひまがあったらまた通して読んでみようと思う。

読んで得た感想や後で調べたいことなどメモっておこう。
■「方法論序説」第1部から第6部までの6章構成だが、わりと哲学してるのは第4部と第5部で、あとは自分の境遇とか、この本を書いたからといって自分を攻撃しないで欲しいとか、なんか言い訳がましいことが書いてある。
■「我考えるゆえに我あり」の文言は「方法論序説」第4部で出てくるが、このことの根拠は示されてなくてただ「明晰である」と書かれている。
■神の概念がわりと頻繁に出てくるが、超越者というか超越的存在として考えられている。そのわりに善の根拠を神に求めたり、神が悪を為すはずがない、みたいなことが書いてあって、わりと神学的な影響のなかで書かれたのかなあと思った。
デカルトが生きた時代は教会と対立するとわりとあっさりブチ殺されてしまう時代であったらしく、「方法論序説」で言い訳がましくなるのも仕方ないかなあと思った。でも結局、デカルトは教会に睨まれて辛い人生を送ったようだ。
■この人、こんな時代に粒子論にたどりついちゃってるよ!天才だ!

ストア哲学ってどういうもの?
弁証法ってなんだっけ(学校で習った覚えがあるが・・・)

ああ、ねむ・・・。