ライプニッツ『モナドロジー 形而上学叙説』/中公クラシックス

父が中央クラシックスの本をどっさりと買ったらしく図書室の中央に山積みに。本棚に同じ題名の本があるのに。何故だ?と聞いたら「解説つきの本を読みたかった」&「歳を取って眼が悪くなったので大きな活字で読みたかった」そうな。いきなり二十冊ぐらい購入しちゃうあたり、いかにもこの男、書痴だなあと思わせられる。そんなわけで一冊、また適当に選んでみた。名前だけは知っている、ライプニッツ。数学の天才とか、デカルトを批判してたとか、ニュートンと喧嘩とか、錬金術にはまってたとかピーキーな印象しかないので、改めてその著作を読んでみようと思ったので。

いやー難解だった。特に『モナドジー』が。あらかじめアリストテレスとかプラトンとか読んでないと理解しがたいんじゃないかなあと思った。三回ぐらい読んでみてようやくイメージがつかめた感じ。この本には『モナドジー』以外にも『形而上学叙説』『小品集』が載っていて、個人的には『形而上学叙説』でライプニッツの人間像みたいなものに触れたような気がする。

■『モナドジー』に出てくる「モナド」とは、スコラ哲学でいうところの「実体形相」
■『モナドジー』の38節、39節でいきなり証明されちゃう「神」の概念が理解しがたい。ライプニッツプロテスタントであったので、考えられているのはキリスト教的な神だと思うのだが、最初に神ありきで考えられてるっぽい。
■とくに『形而上学叙説』で頻繁に神の概念が出てくる。というか教化目的に書かれた印象を受ける。『形而上学叙説』でもって、ライプニッツは対立していたカトリックプロテスタントの和解を目指していたらしい。
■人間の精神はあらかじめあらゆる真理を含んでいる。それに到達できないのは各個人の悟性の限界ゆえである。よってたとえば無知な少年でも、適切な質問をぶつけていくことによって、難しい概念に到達できたりする。
ライプニッツは機械論、目的論についてはニュートラルな立場から両方の哲学にそれぞれ認めるものがあると言っている。

アリストテレスプラトンの哲学について勉強する必要があるなあ。