成長することをやめた子供

「そういう僕も骨髄バンクへの登録をまだしていない。人に軽んじられ汚物のように言われている 自分の骨髄なんて、僕が誰かにあげる筋合いは無い。そう思ってしまっている。」
これはdexiousさんのブログに記載されている文章です。この文章によって、私がdexiousさんに対して感じていた違和感、疑問などがいくつか解けたのです。ひとつはdexiousさんが、どの程度彼自身について、「社会から排斥されている」存在であるのかという自己認識を抱いているのか、という問題。もうひとつはdexiousさんの精神的成熟度の問題です。この文章から明らかにわかることは二つあります。ひとつは、dexious参自身が「人に軽んじられ汚物のように言われている」と自身について言及しています。つまりそのような存在だと自分で自分のことを認識しているのは明らかなのです。一方で、「そんな扱いをうけている自分の骨髄なんて、誰かにあげるひつような無い」と言っています。これは道徳論の問題ねすね。道徳論というとカントを思い出します。カントの言う普遍的道徳論においては「つねに汝が汝自身にしてもらいたいと思うことを道徳律とせよ」ということを言っています。皆さん、母親か父親に言われたことが1度や2度はあるでしょう「他人が嫌がることは決してやってはいけないよ」。カントの言っていいるのはそれをちょっと押し進めたバージョンであり、よりよく生きるとはどういうことか、などと常日頃考えているような人間なら用意に辿り着く格率であるといえます。
さて、しかし、この文章においてdexiousさんは社会的人間としての非常にエッジな部分に立っているといえますし、そういうった状況において精神の未熟さを露呈してしまっているのです。
dexiosuさんの文言には簡単に反論できます。たとえばdexiosuさんが骨髄ドナーを必要とするような状況におかれたとして、冒頭のdexiosuさんそっくりの言明をする人物が現れたらどうするのでしょうか。それこそ「待ってくださーい、待ってくださーい」です。
なぜ、dexiosuさんが冒頭のような言明を発してしまったのか?それは一言でいえばそのような状況に思い当たらず、感情のままに言明を発ししてしまったためですね。つまりdexiosuさんの精神の成熟度は、例えば私(17歳)のそれと較べてもむしろ幼いのではないか、と推論がなりたつわけです。とはいえ、私は一日に17回くらいは「どうすれば人間はよりよく生きられるのか」と思索している、まああまり認めたくないですけど、ちょっと変わった人間ではあります。そのあたりをさっぴいいてもdexiosuさんの精神年齢というのは12〜16歳のあたりでとどまっているのではないでしょうか。

さて、dexiosuさんを取り巻く、というかdexiousさんに議論する環境というのが2chのヲチスレ以外にも複数のブログにまたがり、しかもそれらがかなりの期間にわたっているということから、簡単な帰結が導かれます。つまりdexiosuさんについてはほとんど議論は議論しつくされ、結論らしきものは全てでており、ヲチスレではdexiousさんが日々続ける奇行を見て笑うだけである、ということです。

私がショックを受けたのは、dexiousさんがヲチ対象となったころから現在に至るまで、そのキャラクターがほとんど変化していないとうことです。言い換えると成長していない。子供のままなんです。これは立派に発達障害の一種と考えても良いはずなのですが、なぜか41歳にいたる今日まで放置されてきました。私はdexiosuさんの家庭の事情まではわかりませんから、なにかもっと複雑な経緯があったのかもしれません。しかしdexiosuさんの存在は「成長こそが人間の原動力である」という個人的な哲学にたいする挑戦であります。単なるイレギュラーとして無視してしまってもよいのかもしれません。いや!しかしdexiosuさんはヤフーオークションで評価を積み上げ、日々ブログを更新するという極めて社会的な行為を易々とこなしているのです。一方で自己をある種の神と同一視、全自己肯定と行っている。この人間dexiosuと神たるdexiosuがいかにして共存しているのか、それが私には不可解なのです。